企業イメージ:シナノレース

手付け旋盤で極める、
二次加工。

シナノレース

多くの製造業が集まる富士見町。大企業から小さな町工場まで、この地が広い裾野を持つ「セイミツの町」であることの恩恵を口にする経営者は多い。得意分野を活かした連携、研鑽を重ね高まる品質、そして「分業化の充実」という側面も。富士見町横吹地区に拠点を構えるシナノレースが専業とするのは、アルミ・亜鉛ダイカスト部品の「二次加工」。自動化が進む業界にあって、手付けによる旋盤加工を専らとし、とりわけ異形状の加工において真価を発揮している。「会社は大きくなりすぎなくていい、自分の目と手の届く範囲で、顧客の信頼に応えたい」。代表・伊藤正典の実直な仕事もまた、セイミツの町・富士見の信頼を支えている。

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治具のノウハウと加工の確かさで「よそが嫌がることをやる」

精密部品製造の主力を担うダイカスト技術。その部品は精密になればなるほど、細部にわたり高い精度の仕上がりが求められる。なかでも数ミクロンの誤差にまで気を配らなくてはならない部品たちの二次加工が、シナノレースの本懐だ。

医療機器や真空ポンプ、産業用カメラなど、同社が頼りにされるのは10個程度の小ロットから最大2万個程度までの業界向け製品ばかり。目に見えないわずかな誤差だとしても、使用時に思わぬ影響につながってしまう、そんな繊細な要求に、期待以上の仕上がりで応え続けてきた。
「無理に応える加工の技術力」に、地域企業からの信頼は厚く、工場内では見慣れた社名のパレットを目にすることもできる。

代表の伊藤正典。異形状部品の加工で使用する特注の治具を解説してくれた

「たとえば血液ポンプの部品などは、内径と外径が20ミクロンのレンジのなかでおさまらないと、動くたびに音が出てしまい、患者さんのストレスにもなりかねません。『病院で使う部品だから、より誤差なく、より静かに。患者さんの気持ちに寄り添って、ストレスにならないように』と、顧客から厳しく言われています」

そう話すのは、代表の伊藤正典。20年勤務していた工場の社長であった叔父の逝去にともない、2014年に同社を設立した。「アイデアマンであり、腕利きの職人だった叔父が急に亡くなって、気づいたら自分がやることになっていて。当時はお客さんからも『やっていけるのか』と心配されたくらいでした」と笑うが、今では8名の従業員を抱えるまでに。6台ほどだった加工機も18台に増え、100種類を超える部品加工をこなす日々だ。

異形状加工で発揮する、提案力と技術力

ものごし柔らかで、あくまでも控えめな伊藤。それでも「御社の強みは?」と尋ねると、即座に「他ではできない異形状部品の加工ができるのが強みです」と答えが返ってきた

「旋盤は、回転する部品に刃を当てて削らせる道具ですから、部品を回転軸から外れないようにうまく固定させないと削ることができません。このとき、『どのように押さえるか』が腕の見せどころ。複雑な形の一部を抜いて真円を出さなくてはならないときなどは、より良い治具の提案から行います。よそが嫌がることをやる。だから、お声をかけていただけるんだと思っています」

競合が「嫌がる」加工は、高い技術を要することでもある。異形状かつ繊細な部品製造を実現するために欠かせないのが、適切な治具の提案と、「手付け」による旋盤加工だと伊藤。

「穴は開けたいけれど、どこをつかまえたら良いのかわからない。そんな部品を加工できるように、これまでの経験を総動員して考える。苦しいけれど、やりがいでもありますね」

そうして治具と加工のプログラムが確立できたら、いよいよ加工へ。「一次加工の『図面通りにいかない部分』を挽回するのが自分たちの仕事」と話すとおり、二次加工ではねじ切りや穴開けのみならず、前工程で生じたひずみやサイズの誤差を調整する役割も担っている。

以前、こんなこともあった。アルミダイカストの部品加工において、一次加工の際に「す」が入っていていた。そこに指定通りのねじきりをしたところ、刃が欠けてしまった。目で見ればほんのわずかなことだが、担当していた技術者の目配りと、徹底した検査体制により、早期に発見できたという。

「僕たちが扱っている部品は、朝昼夜それぞれの温度差でも、収縮の具合が違ってくるんです。その『違い』に気づけるのは、一つ一つ手で製品を差し替えて加工する手付け旋盤だから。加えてスタッフたちは頼まれていないバリ取りや磨きにまで心を配ってくれます。お昼休みの時間にも、『もっとこうしたらよくなるのでは』という提案をもらうことも。文化は違っても、みんな日本が長いスタッフばかりなので、意思疎通に困るどころか日々助けられています」

「ものづくりの原点」は、トヨタ直営学校にあり

他ができないことを請け負う。難しいほど、ワクワクする。そんな伊藤の「ものづくり精神」の原点は、中学卒業後に飛び込んだ、トヨタ自動車直営の自動車整備専門学校(当時。現在はトヨタ名古屋自動車大学校)にある。1961年、トヨタ自動車販売が設立した自動車整備学校を礎とする同校は、トヨタ自動車の歴代社長が理事長を務め、全国から多くの進学希望者を集めている

「もともと、車に携わる仕事がしたかったから、ダメ元で受けてみたら、受かったんです。全国から50〜60人が受験して、諏訪エリアからはなぜか僕ともう1人だけ受かって。右も左もわからない時に『トヨタ生産方式』などについて学べた経験は、やっぱり今の仕事にも生きていると思います」

卒業後、トヨタに勤務していた時代には技能五輪にも参加。「機械科だったので、汎用旋盤があるなら参加してみようと思って。とても良い刺激になりました。学校から仕事まで、トヨタは車が好きなだけだった自分に、学びの機会を惜しみなく与えてくれた場所。最初の勤務先だったトヨタの工場の上司も、うんと面倒見がよくて。その頃から人に恵まれていたんですね」

外国人スタッフの粘り強さと、富士見の横のつながりに助けられて

「取引先も従業員も、人に恵まれてここまできました」と繰り返し話す伊藤。

「受注先はほとんどが富士見町内。地域のつながりでかわいがってもらっている部分は大きいです。僕は生まれが諏訪だけれど、富士見町のほうが人のご縁のつながりが強いように感じますね。
スタッフは、現在ほとんどが外国人です。フィリピンの女性に、スリランカの男性。みんな、集中力がすごい。勤務時間をフルに使って、淡々と仕事に打ち込む仕事ぶりは、日本人にはなかなか真似できないんじゃないかな」

最後に、今後の展望をたずねてみる。「30歳になる息子が、町内の会社でお世話になっているんです。いずれは継いでくれるかな」と、明るい答えがかえってきた。そしてもう一つ、「でも『会社を大きくしたい』という気持ちはあまりないんです」とも。

「大きくなりすぎて自分の目が届かなくなるのは、自分に合っていないと思っているんです。人を大切に、機械は少しずつ入れ替えて、よそではできない技術を目の届く範囲できちんと守っていきたい。エンジンも電気モーターへと移り変わっていく時代、ニーズを先取りする学びは止めずに、企業のみなさんの信頼に着実に応え続けるのが、自分ができる仕事だと思っています」

そんな話をしていると、従業員の子どもが学校帰りに工場へ立ち寄る声が聞こえてきた。町工場の、懐かしくもあたたかな光景。それは伊藤の人柄そのものであり、シナノレースの社風を表しているようだった。

シナノレース

【設立】 2014年

【所在地】 〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見4773-6

【連絡先】TEL 0266-61-1850 FAX 0266-61-1851

【代表者】代表取締役 伊藤正典

【従業員数】7名

【事業内容】NC旋盤加工(アルミ・亜鉛等ダイキャスト製品の2次加工)

【主要取引先】みやま工業有限会社、株式会社ケントク、株式会社メックほか

(記載の内容は全て取材時点の情報です)

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