100年企業へ。
手しごとは機械に勝る
1940年。東京都蒲田で創業した株式会社ニシムラ。機械彫刻業社として設立されたが、第二次大戦の勃発、そして終戦。激動の時代を乗り越え富士見町に根付いた。量産品の製造が海外工場へと移るなか、繊細な技術がモノを言う小ロット多品種を武器に諏訪を始め全国各地のメーカーから厚い信頼を得ている。
精密機械彫刻からカメラ製造、そして組み立てへ
富士見町の中心地にある株式会社ニシムラは、創業1940年。80年を超える老舗である。東京都蒲田でカメラやレンズの本体へ文字を刻印する精密機械彫刻業として創業した同社だが、やがて戦争が始まり空襲の危険性が高まると、政府の進言により長野県への疎開を決断することとなる。当時富士見村(現在の富士見町富士見)には貨車が停めおける線路があったため、大型機械を運び込むのに都合がよく、富士見への疎開が決定したという。終戦後の混乱の中では、取引のあった会社からの受注がなくなるハプニングにも見舞われたが、当時の諏訪地域は精密製造業の勃興期。たくさんのカメラメーカーが存在していたため、疎開後も企業からの受注を取りつけることができ、富士見の地に根付いていった。
やがてカメラやレンズのボディが金属からプラスチックに変更されると、機械彫刻の需要は減少していく。需要の変化とともにカメラの製造へ、そしてカメラ製造が海外へ流れると、より繊細な作業が求められるレンズなどの組み立て業へと移行していった。
「多品種小ロット」細やかなニーズに応える人の技と柔軟性
近年は、カメラをはじめとした精密機械も量産品の製造は海外工場に移行しているが、中でもニシムラが受注するものは「多品種小ロット」の製品だ。
各種光学レンズの組み立てや光ファイバーコネクタの組み立て、ロボットの回路ユニット、圧力計など、取り扱い品目は実に多岐に渡る。これらは、サイズや品種が多く、一度の受注数が少ない場合が多い。10本、20本という少量からでも受注し、それらを熟練の作業員たちが手作業で組み立てていく。これこそがニシムラの最大の特徴だ。
こうしたニシムラの製造工程について、製造部の新井将人はこう話す。
「繊細で取扱に注意が必要な部品の製造を手がけています。作業工程が長いものも多く、それだけ作業には高い熟練度が求められます。安く早くではなく、時間がかかっても正確なものをとおっしゃる取引先もいるほどです。
同じ製品であっても、メーカーの好みに合わせて使い心地を調整できるなど、柔軟性が買われていると思います。我々が売っているのは安心なんです」
ニシムラに求められているのは、機械化・合理化が難しい製品だ。そこにはコストや納期以上に、正確さと細やかさが求められている。
多くの製品が手作業ということで作業者ひとりひとりに高い技術が要求されるが、その点について4代目の取締役社長・西村章はさらにこう話す。
「当社の従業員はみな高い技術を持っています。それを象徴するのが、レンズを拭き取る作業です。拭き取り?と思うかもしれませんが、指先でつかむのも大変なくらい小さなレンズを、一寸の曇りなく磨き上げる。これが一人前になるまでには最低3年はかかるんです。それに、レンズそのものの誤差や鏡筒の誤差などにより、レンズの焦点が合わないことがあるんです。片ボケといいますが、これを調整する機械もあるにはありますが、一番シビアに調整できるのは人間の感覚だと思っています。それを任せられるだけ技術が高く、信頼のおけるスタッフに恵まれているのは本当にありがたいことです。まさに従業員は宝なんですよ」
効率より安心を形づくる「多能工」
もう一つニシムラを象徴するキーワードは「多能工」だ。1人が一つの作業に専念するのではなく、その前後の作業をはじめできるだけ多くの工程に関わる形を取っている。その理由について、
「自分の担当の部分だけではなく前後の工程や全体の流れを知ってもらうようにしています。自分の作業が次工程へどうつながっていくのか想像できると作業に向きあう姿勢も変わりますし、その部品を注文してくれたメーカーさんやお客さんの気持ちを想像することができるんです。効率のよい方法ではありませんが、ものづくりをする上でとても大切なことだと思っています」と新井は言う。
ニシムラで扱う製品は、社内で完成形になることが少ない。しかし作業者一人ひとりが後の工程を思い描き、どのような製品として顧客に渡るのかを想像することが、品質維持向上に役立っているのだ。
「うちで扱う製品は種類が多くて受注の時期も読みにくい。急に大量の受注があっても、多能工であれば別の部署からもすぐ応援に入れるんですよ。するとお客さんを困らせることなく納品ができる。そういう意味でもお客さんのニーズ、時にはわがままな受注にも寄り添えると思っています」(西村社長)
より高い安全性を求めて
ニシムラでは、取り扱う品数が非常に多い。
レンズの組み立てを一つとっても、セキュリティカメラ用のレンズやマシンビジョンレンズといった固定焦点レンズから、バードウォッチング用のスコープの光学式レンズなど実に多岐にわたる。
マシンビジョンレンズであれば、一番小さいもので焦点距離4.5ミリから最大で50ミリのものまで80種ものレンズを製造することができる。
そのひとつひとつに数十から数百の部品が使われているが、受注にすぐ対応できるよう常に大量の部品の在庫を多数抱えている。5Sの徹底はもちろん、在庫管理はシステム化し、不足のないよう、また製造ミスを引き起こさないよう管理されている。
大手カメラメーカーの品質管理部門直々の指導を得て、独自の品質管理体制も構築している。ニシムラではISO自体を取得はしていないが、ISO審査員の資格取得者を2名も輩出するほど高度で厳格な管理体制を誇っているのだ。
従業員の教育やフォローについても非常に細やかに対応していることが伺えた。
製造工程のマニュアルは社内で何度も精査され、非常に細かい部分まで考えられている。万が一なんらかのミスが発覚した場合には、客観的にその原因を探り、作業者の個人的責任として片付けない。マニュアルのわかりづらさや指導法の改善など、社を挙げて取り組むのだという。
手作業の多いニシムラにあっては、従業員のモチベーションは仕事の成果を大きく左右する。そのために社員とのコミュニケーションや職場内の雰囲気を大切にしているということだ。社長の西村、営業部長新井は定期的に巡回し、作業進度や社員の体調などをそれとなく見て回る。
取材中も気軽に声をかけ、また従業員からも話しかけられる姿を何度も目にした。そこには経営者と従業員という壁は感じられず、風通しのよさが感じられる。西村が大切にしているという「家族的経営」とは、決して馴れ合いではなく、高い技術を遺憾なく発揮するための土台でもあるのだ。
100年企業を目指して
会社の未来について西村は「今ある取引先の製品を大切にするのは当然のことです。さらに一人一人が高い意識を持つ多能工なので、さまざまな業種のさまざまな製品製造に対応できるのが強みです。それができれば景気に左右されにくく、いつでもニーズに応えられる強い会社を作っていけると思っています。我が社の社員は本当に誇れる、自慢の社員です。そんな社員ととともに100年企業を目指して邁進していきたいと思っています」
と力強く話す。
製造業を取り巻く環境は刻一刻と変わる。しかし戦中戦後の混乱を乗り越えてきたニシムラは、長い歴史とその中で培われた技術で、新しい一ページを切り拓いていくだろう。
取材・執筆:田中ゆきこ(尽日舎)
構成・編集:澤井理恵(ヤツメディア)
写真:ミズカイケイコ
動画:山田智大(やまかめ)
株式会社ニシムラ
【設立】1940年
【所在地】〒399-0214 長野県諏訪郡富士見町落合10775
【連絡先】TEL:0266-62-2460 FAX:0266-62-5144 MAIL nishimura@opt-nishimura.co.jp
【代表者】取締役社長 西村章
【従業員】52 名
【事業内容】 光学機器製造業務/監視カメラ用レンズ、マシンビジョンレンズ、スポッティングスコープレンズ、車載用レンズモジュール
通信機器製造業務/光ファイバーケーブルコネクタ(ガラス、プラ)、変換プラグ、減衰器、モジュラーローゼット
情報機器部門/カメラ付スキャナー
機械加工部門/モールド用金型加工
【取引先企業】 日本電産サンキョー株式会社、ウェルストン電子工業株式会社、興和光学株式会社、株式会社ライト光機製作所、株式会社ミカミ、株式会社マーストーケンソリューション、コーヤル光学株式会社、有限会社中田スクリーン印刷、ファナックパートロニクス株式会社
【webサイト】 http://www.opt-nishimura.co.jp
(記載の内容は全て取材時点の情報です)
株式会社ニシムラへの
お問い合わせはこちら
SEIMITSU FUJIMI の情報をメールでお届けします!