企業イメージ:トークイベント

横の「つながり」が、
富士見のセイミツを強くする

トークイベント

2021年3月に誕生した、「SEIMITSU FUJIMI」。長野県富士見町の産業の中核を担う精密機械企業を紹介し続けてきたこのサイトの1周年を記念し、公開収録トークイベントを開催した。会場は、本サイトの連載シリーズ「精密紀行」にも登場した富士見町の「有限会社牛山製作所」。

登壇したのは、富士見町の次世代を担う「ものづくり若手塾」に所属する、3名の若手経営者たち。笑いと活気に満ちた対話から、改めて人材層の厚さ、地域内での連携の強さ、着実な事業承継といった“富士見の強み”が浮き彫りになった。

  

 

登壇者紹介
(左)有限会社メタル工房/取締役・平出翔太
諏訪市出身。2016 年に入社以降、同社の新規事業であるアルミフレームを主とした FA 装置向けの製品・サービスの設計、販路開拓の一切を担ってきた。新規参入ではあるものの、数年で急速にシェアを広げている。

(中央)株式会社トップマクト/代表取締役・小林慶彦
富士見町出身。バルブ部品や住宅の水回り部品における真鍮の旋盤加工を手掛け、 徹底した全数外 観検査の仕組みを確立し売上を伸ばし続けている。2009 年入社、以降独自の生産管理システムの設計開発、鉛フリー材の加工技術の確立、装置部品・装飾品・楽器などの分野への営業展開などに取り組み、2017年代表取締役就任。

(右)株式会社なかみつ/代表取締役社⻑・中村光貴
富士見町出身。前社⻑の右腕として経営を支え、2021年代表取締役社⻑就任。同社は、5 軸加工を中心にしたマシニング加工に強みを持ち、航空宇宙、医療機器、輸送機、光学部品など各分野の製品の試作及び量産を担う。リーマンショックを機に 5軸マシニングセンターの導入を決め、中村が5 軸加工の体制を主導してきた。

「なんのドリル使ってる?」
集まれば情報交換は自然に

トークイベントでは、SEIMITSU FUJIMIで制作した企業紹介動画をそれぞれ上映した後、話題は3名が所属する「ものづくり若手塾」についてへ。その名の通り、町内の若手同業者をつなぐ役割を果たしてい るという若手塾の活動内容がまず紹介された。

―みなさん会社の代表や取締役として経営、牽引されていくお立場かと思いますが、一方で「ものづくり若手塾」という富士見のグループの一員でもあるとのこと。 まず、「若手塾」の活動について、平出さんからご紹介いただけますか?

メタル工房・平出翔太さん(以下、平出)
「ものづくり若手塾」は、富士見町商工会の工業部会の中にあり、製造業に携わる30〜40代を中心とした若手メンバーで構成された組織です。活動としては、メンバー のお互いの企業の工場見学や、視察旅行などを通じて情報交換を行ったりしていますね。 個人的には、町内でものづくりに携わっているなかで、悩み事などを共有できる仲間が集まっているというのが一番の魅力ではないかと思っています。

ー小林さんはいかがですか?横のつながりがもたらす安心感について、共感できる部分はあるんでしょうか。

トップマクト・小林慶彦(以下、小林):そう、その部分ってすごく、大きくて。「仲間と情報共有」するという部分で言えば、当然企業秘密はありますが、「なんのドリル使ってる?なんの油使ってる?」っていう、本当に細かい話までできたりするので。

ー油ですか!

小林:そう、もちろん趣味の話もしますけど、同業として共有しているものがあるので、横のつながりはとても良いと思います。

ー中村さん、実際の活動の成果物があるとお聞きしたんですが。

なかみつ・中村光貴さん(以下、中村):まず一つが車椅子用の体重計ですね。メインはこちらの2人(平出・小林)で作ってもらいました。介護の現場で困っていることを私たちなりに考えて、形にしたものです。もう一つ、少し変わり種としては、津軽すこっぷ三味線 長野県大会※のトロフィーもつくりました。

ものづくり若手塾が手がけた車椅子用体重計  写真提供/ふじみまち産業振興センター

平出:富士見町の商工会の青年部が、すこっぷ三味線の長野県大会というものを企画し実施したのですが、これに際して富士見町のものづくりで何かできないかと若手塾に発注をいただいて、みんなでトロフィーをつくったんですよね。

津軽すこっぷ三味線長野県大会の入賞者に贈られたトロフィー
※津軽すこっぷ三味線 長野県大会/音楽に合わせ、鉄製スコップを栓抜きでたたいて演奏する芸を競う「津軽すこっぷ三味線」。
町商工会青年部が実行委員会を組織し、長野県大会として、2017年・2018年に町内で開催されたイベント。写真提供/富士見町商工会

ーこれは、金銀銅のトロフィーでしょうか。

小林:そうですね。優勝、準優勝、第三位ということで、金銀銅の色で、個人の部と団体の部それぞれにつくりました。本体はアルミニウムの削り出しです。

平出:私が設計を担当させていただいて絵を描いたものを、削り出しはなかみつさんの方で。

中村:担当させていただきました。やってみたら、自分たちでもびっくりするくらい出来栄えがよくて(笑)。

平出:実際完成したら渡したくなくなっちゃって、自分たちで持っていたくなっちゃったっていう(笑)。

ー通常の仕事さながらに、一つの受注品に取り組んだんですね。お互いの懐を知るきっかけにもなりましたか?

小林:そうですね。僕は部品の発注先の紹介などを主に行なったのですが、知ってるようで知らないようなことを、お互いに見られる機会になりました。

事業承継の理由は「“大人”の背中が輝いていたから」

「富士見町内の若手同業者が日ごろから集まっていることで、互いの得意を活かした助け合いも生まれている」そんな若手塾と富士見町の強さをお聞きしたところで、話題は「事業承継」に。彼らが後継者となることを決めた背景には、共通する理由があるようだ。もちろん、その影には後継者ならではの悩みも。双方について、3者それぞれの率直な意見が飛び出した。

ーそもそも、この富士見町でこれだけ若手が後継者として育っている理由って、どういうところだと思いますか?

平出:私が考えるには、たとえば先ほど冒頭にごあいさついただいた名取元秀産業振興相談役であるご自身も、旋盤加工の「スター精機」という会社をやられているんですが、我々が「大人」と呼んでいる先輩たち、要はかっこいい親父が多いんじゃないかなってことを感じます。

やっぱり親父がやってた仕事を見て、なんとなく自分もやってみたいな、やろうって思わせてくれたというのが、一つ理由としてあるんじゃないかなと感じています。

小林:じつは僕も、事前のアンケートに同じことを書いたんです。たまにこういう話題のときに聞かれる謎の一つでもあって、みんな「なんでだろう?」と思ってるんですが、やっぱり今お話に出たように、大人の人たちがいきいき働いてる姿が目に入ってきてたんじゃないかなって。

中村:僕が「継ぐんだろうな」って思うようになってきたのは小学校ぐらいからですね。そのときすでに父が社長をやってたので、たぶん将来の夢とかは「社長になりたい」って書いてたと思います。なので、よく言えば英才教育されて、うまく洗脳されてきたというか(笑)。

大学を出て一回外で働いたのちに、なかみつに入りましたが、父が会社をやってる姿しか見てなくて。従業員としてすごく居づらかったんですよね。最初は戸惑いがありました。

ー家族だからこその気まずさも、やはり最初はあるものなんですね。

(一堂うなずく)

ー小林さんはいかがですか?決意と、実際に会社に入った厳しさと。

小林:私は子供の頃からなんとなく、カタカナで「シャチョー」っていう響きがあって(笑)。自分の父が周りの人から「社長、社長」って呼ばれてるのを見て、憧れを持っていたというか。

ー誇らしいですよね。

小林:はい。尊敬しているところもありつつ、本当に意識したのはやはり大学卒業のタイミングでした。

当時、世の中ではリーマンショックが起きて、就職が大変という中で、「ここを乗り切った会社は次のステップ行くな」って考えたとき、自分ちの実家の会社がそうであってほしいと思ったし、そのために何か自分にできることがあればしたいと思った、みたいなところがきっかけといえばきっかけですね。

小林:逆に厳しさ、としては…。よくみなさん、「あそこのラーメン屋さん、店主が息子になっておいしくなくなった」とか軽く言うことってあると思うんです。その言葉が僕はすごく怖くて。

うちは私の祖父が創業した会社ですが、次に父の代があって、お付き合いくださっているお客さんを抱えている中で、そのお客さんから「こいつになって腕落ちたよな」とか「よくなくなったね」って言われることがすごく怖くて。だから、仮にあそこのラーメン屋さん味変わったなって思っても、口に出せないというか(笑)。

そういった意味で、常に父の代までに築いてきたものと自分との比較っていうところが、一番気を遣うというか、気になるところですね。

中村:もちろん、自分で会社を一から立ち上げるとなると全部集めなきゃいけないと思いますが、それらがすでにある状態で引き継ぐので、ものすごくありがたいことです。でも、引き継ぐものは実はいいものばかりじゃない、借入金だとかそういうのもありますし。それに、先ほど小林くんが話した外からの評価に加えて、従業員がいっぱいいる会社さんであれば、従業員と先代社長の関係があって、そこに新しい社長が来ると「先代はああだったのに若いのが来てこうなった」って辞めていく人もいると聞くので、その辺の難しさはあると思います。

あとは、モチベーションの維持がつらいときがありますね。先代社長は自分の意気で会社を立ち上げたので、多少つらくても「自分でやっていくんだ!」っていう気持ちがきっと僕たちよりも強かったと思います。割と私たちはぬくぬくと育ってきたので、その辺になると弱いんですよ(笑)。

私が事業承継を行なったのは、昨年2021年だったんです。コロナ中に社長になって、毎日胃が痛い状況を引き継いできた、というような状況で。

ーけれどそれが、動画にもあった「5軸のマシニングセンターの導入」といった、新たな強みにつながる展開のきっかけになったわけですよね。

中村:そうですね、そのピンチをこらえようと模索したからこそ、今があるという感じです。

「縁の下の力持ち」としての誇りと喜び。日々の技術進歩にもやりがいを感じながら

“大人たち”への憧れと仕事のやりがい、そして後継者ならではの悩みについても話されたところで、話題は「ものづくり業界そのものの楽しさと、苦労について」へ。小林さんから出た「ラーメン店」のたとえをきっかけに、さらに話は広がっていった。

ーみなさんから、楽しいだけじゃない、厳しい話もお聞きしたので、逆に「ものづくりをする中で働く喜び」については、いかがでしょうか。

平出:先ほどのラーメン屋さんの例で言うと、ラーメン屋さんをやっているとお客さんの顔が見えて、おいしかったですとか、ごちそうさまって言ってもらえると思うんですが、製造業をやっているとなかなかその機会がなくて。(助かったよと)思ってくださってると信じてるんですが、連絡が来るのは基本的に悪い連絡なんですよね(笑)。「ここ図面と違ってるよ」といった修正の連絡くらいですから。

ーなるほど。便りがないのがいいたよりですね。

平出:そうなんですよね。「全部図面と合ってたよ」っていう電話はかかってこないので(笑)。そういう意味ではモチベーションの維持が難しかったりもするんですが、私で言うとやっぱり、図面を描いて架空の絵だったものが、現実にうちの工場で製品になったとき、完成したときはやっぱりそれはうれしいです。先ほどのすこっぷ三味線のトロフィーじゃないですけど、出荷するのが惜しい、取っておきたい、みたいなものもあったりします(笑)。

ー素晴らしいですね、それだけ高い水準のものを求められていることの証でもあると思います。小林さんはいかがでしょう。

小林:弊社の「SEIMITSU FUJIMI」の動画の中でもちらっと話しているんですが、うちは部品のなかでもあまり目に付かないものをつくっているんですね。住宅とかの水回り部品に使われることが多くて。

「みなさんたぶん目にしたことはないんですが、必ず使ってると思います」って胸を張って言えることで社会とのかかわりを感じますし、やりがいの一つかなと思ってます。

ー社会全体の「縁の下の力持ち」的役割を担っているのが、富士見のものづくりなんですね。

小林:そうありたいですね。

ー中村さんは、いかがですか。

中村:弊社の場合は、依頼される製品は面倒くさいものが多いんです。面倒くさいっていうのは難しい加工が多いってことなんですが、それが自分で考えた通りにできたとき、一回の失敗もなくいくと「よしっ!」っていう感じにはなりますね。

日々の積み重ねで技術が進化していくのは、我々の仕事の醍醐味です。製品ができあがるのも喜びで、出荷してお客さんに喜んでもらうのも一番大事なところなんですが、じつはまず形にできるっていうことが喜びであり、やりがいなんです。

ーもはや、ちょっとやそっとの加工じゃ物足りなくなってきちゃいますね(笑)。

中村:たぶんそうだと思います、そういうのは会長(先代社長)に渡してもらって(笑)。

小林:この「ものづくり若手塾」の枠組みでも、どこまでできるのかな?っていうところに、チャレンジしてみたいなって思ってます。「取り組んでみたけど、ここは得意な人いなかったね」ってこともありきでいいと思っていて、自分たちで実際どこまでやれるのかっていうところにチャレンジしたいですね。

ーお三方とも日々のお仕事ももちろん忙しいと思いますが、それでもがんばれる楽しさがあるんでしょうか。

中村:仲間で集まってワイワイするのがやっぱり楽しいので、その辺は仕事と別腹でできちゃいますね。

事業と取り組みを通して、地域を日本を元気に

専門領域は三者三様ながら、それぞれが抱く仕事への誇り、そして共通する喜びが語られた今回のトークイベント。最後にフリップを用意し、取締役、及び経営者としての「これから目指すこと」について話を聞くと、それぞれから富士見の活気を象徴するような、前向きかつ熱い想いが語られた。

ーフリップが出揃いました。平出さんが「みんながうれしい会社」。小林さんが「加工品を通じて価値を提供する」。中村さんは「いい会社にしたい」。お三方それぞれですが、まずは平出さんから、そのこころは?

平出:会社は単体で存在はできないので、お客さまがいて、協力してくれる会社さんがいて、弊社で働いてくれる社員さんがいてメタル工房が初めて成立していると思っています。

平出:そのなかで、たとえば協力してくれる会社さんにも「もっと安く、もっと安く」と言うのではなく、喜んで協力してくれる体制にするなど、弊社に関わる人たちみんながうれしい会社をめざしたいと思っています。

ーでは次に、小林さんお願いします。

小林:加工品を提供する会社として、取引先様にはたんに言われた部品を製造し届けるだけでなく、「トップマクトから買うと組み立てやすいんだよね」とか「きれいなもの入れてくれるから作業がはかどるんだよね」って言われる仕事を大切にしたい。そのような想いで「加工品を通じて価値を提供する」としました。 

ー最後、中村さんお願いします。

中村:いい会社にしたいというのは、お客さんにとっては、きちんと要求したものを提供できる会社、それを適正価格で提供できる会社、そういういい会社にしたいという想いがあります。私も含め従業員たちも、会社に勤めることが楽しい、会社に勤めることで自分の人生がちょっとでもステップアップしていけるような、そういういい会社にしたいというのが目標ですね。

中村:あともう一つ、地域や社会に対してもいい会社にしたい。会社はもちろんこのSEIMITSU  FUJIMIや若手塾、商工会青年部を通じて、地域だったり、もっと言えば日本を元気にできるような活動をしていけたらいいなと思っています。

3名の登壇者の日々の関係性がにじむ、なごやかな雰囲気のなか進行した約1時間のトーク。笑いが絶えないなかにも、語られる言葉の中にはそれぞれの内にある富士見の先人たちへの敬意、そして未来への熱い意欲が込められていた。新型コロナウイルス感染拡大予防の観点から、活動休止となっていた「ものづくり若手塾」だが、今後の展開にも大いに期待したい。

(記載の内容は全て取材時点の情報です)